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鉄道_日本編

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日本にも、おもしろい鉄道がたくさんあります。

マニアではないけど、ちょっと変わった視点から、鉄道写真をご紹介します。

2020年05月31日更新

鉄道_日本編



甘いSL_チョコレート展

2013年。国立科学博物館で開催の「チョコレート展」の作品です。東京上野にある国立科学博物館の前には、SLとシロナガスクジラの復元が展示されていますが、これらをチョコレートで再現したものがありました。色が若干チョコレートですが、それ以外はチョコレートでつくったようには見えません。このほかにも上野らしく、パンダなどもチョコレートでつくられていました。

チョコレート展は、カカオの歴史、ココアやチョコレートとして食べることの発見、製造方法の解説、有名なチョコレート菓子の歴代パッケージとCMなど、チョコレートについて実によくわかる展示になっています。展示会が終わったら、誰かが食べるのでしょうか。

甘いSL_チョコレート展

川越-横浜直通_のるるん

2013年。3月16日に東京メトロ副都心線と東急東横線が相互直通になります。東武、西武、みなとみらい線なども直通するので川越方面に住んでいる私にとっては、待ちに待った開業です。

最近は何でも「ゆるキャラ」をつくってしまいますが、東急渋谷駅にもいました。特にかわいくも、個性もありませんが、目的はよく伝わってきます。「のるるん」というネーミングもキャラも、シンプルでいいかもしれません。

川越-横浜直通_のるるん

ドラえもん列車_小田急線

2013年。川崎市にオープンした藤子・F・不二雄ミュージアムは、小田急線登戸駅が最寄り駅ということもあり、ドラえもんの登場人物のステッカーが貼られた、F-trainが小田急線を走っていました。

小田急線の通勤列車は、普段はクリーム色に青帯という、やや地味なデザインですが、ドラえもんのステッカーだけでファンタジーなイメージになります。ただのステッカーで、デザイン的には洗練されていませんが、小さいころ、ドラえもんのカレンダーの付録についていたステッカーを、家の洗濯機などあちこちに貼りまくっていた思い出がよみがえりました。

ドラえもん列車_小田急線

興浜南線終着駅_雄武記念碑_紋別駅看板

2012年。オホーツクをレンタカーで北上したときに寄った道の駅「おうむ」の端のほうに、そっと置かれていた記念碑です。紋別や興部まではさほど感じなかった荒涼とした景色があります。羽幌とかとは違う、オホーツク独特の雰囲気で、稚内はまだまだ先です。しかし、ここまで鉄道が通っていた時代があったことが、驚愕です。

一方、紋別は「氷紋の駅」という観光、みやげセンターのところに駅看板が復元されていました。紋別は空港もあって、鉄道が今でもあって良いような気もしますが、クルマ社会で特急以外の需要はほとんどなさそうです。

興浜南線終着駅_雄武記念碑_紋別駅看板

河童_田主丸駅

2012年。福岡県久留米市、久大本線の田主丸駅は建物全体が河童になっています。奇抜なデザインの駅はたくさんありますが、このように愛嬌のある駅はそう多くありません。

ちなみに「河童」の頭の部分は河童資料館になっています。河童の総大将、九千坊のふるさと筑後川ということで、この付近が河童の本山と云われています。九州にはよくある伝説です。ちなみに、岩手県の遠野や茨城県の牛久には別の伝説があり、日本には複数種の河童が生息していると考えられています。

河童_田主丸駅

エコ配送_JR宇都宮線

2012年。上野から栃木県の黒磯に向かう普通電車です。本当にごく普通の電車ですが、最後部車両の半分だけ、荷物室にして、新聞のようなものを運んでいます。ごく普通の通勤電車を利用して貨物を運ぶのは確かに効率がよいこともあるかもしれません。

貨物は、10両も15両もある車両の半両だけです。あくまで旅客の輸送がメインです。荷物室のある車両の残りの半分は普通に乗客がいます。わざわざこの車両に乗らなくても、別の車両のほうが落ち着くのではと思いますが、乗っている人はあまり気にしていないようです。

エコ配送_JR宇都宮線

スカイツリー_東武東上線

2012年。東京スカイツリー開業を記念して、東武鉄道ではスカイツリーの高さ634mに因んで、11634という番号の車両にヘッドマークをつけて運行していました。東武東上線で、時々見かけました。

スカイツリーはあまりにもたくさんの関連商品やイベントがあって、よくわからない状態になっていますが、2013年になってようやくスカイツリーの真下と、そこにあるすみだ水族館には行きました。ツリーにはまだ登っていませんが、2014年頃までには行ってみたいと思っています。

スカイツリー_東武東上線

縄文杉はここから_安房森林鉄道

2005年。屋久島の荒川登山口から縄文杉に向かう遊歩道は、しばらくはこの安房森林鉄道の軌道を歩くことになります。ここまではよくありそうですが、この森林鉄道は現役で、普通に列車が通ります。この日は有限会社 愛林の作業員の方を乗せた列車が通っていたようです。小さな汽笛が鳴って、登山客がよけるとすぐ横を列車が通るという、日本にはあまりない光景です。

沖縄はモノレールなので、2本のレールのある鉄道としては、おそらく日本最南端です。森林の伐採は現在は行われていないため、治山作業のための鉄道ということですが、屋久島が森とともに生きてきた歴史を感じます。

縄文杉はここから_安房森林鉄道

長い長い階段_土合駅

2005年。群馬と新潟を結ぶトンネルの中にある駅です。なので、駅から地上出口まで延々と階段がつづきます。エスカレータもエレベータもありません。バリアフリーの指標で考えると、ダントツの最下位と思います。

この駅には谷川岳登山のあと寄ったので、階段が大変とも、長いとも特に思いませんでした。あたりまえですが、山に比べると歩きやすく、快適です。登山客にとっては、問題ないのかもしれません。階段が長いことよりも、無機質感がきわだっていることに驚きです。作業員用階段のような雰囲気です。

長い長い階段_土合駅

新旧揃い踏み_谷川岳ロープウェイ

2005年。群馬県の谷川岳ロープウェイ。現在は複線式のロープウェイで、強風でも運行中止になりにくくなっていますが、2005年まではゴンドラ方式でした。これは、ゴンドラに乗っているときに、たまたま横から来た試運転の新ロープウェイを一緒に撮影したもので、2005年の一時期しかない光景です。

新ロープウェイになったあと、谷川岳山頂(トマの耳)、オキの耳にも登りました。新ロープウェイは音も静かで安定していて、なかなか快適です。

新旧揃い踏み_谷川岳ロープウェイ

すべてトンネル_黒部ケーブルカー

2004年。立山黒部アルペンルートは、トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイなどで富山県の立山と長野県の扇沢を結ぶルートです。途中、トンネルが多く、出ると景色が全く変わるので、はるばる山を貫いてきたという実感があります。日本では、他にこのようなところはあまり見られません。

その中で黒部平と黒部湖を結ぶ黒部ケーブルカーもすべてトンネルです。いつも混雑していて、かつ景色もないのですが、これがなかったら移動にはものすごく体力が要ると思います。

すべてトンネル_黒部ケーブルカー

走れメロス号_津軽鉄道

2004年。青森県の五所川原から津軽半島にあるローカル鉄道です。途中の金木町には、太宰治の旧家、斜陽館があります。津軽三味線のふるさとでもあります。

そんなわけで、津軽鉄道の列車に、太宰の作品にある「走れメロス」という名前がつけられています。ぴったりな名前ですが、太宰の作品で考えると「走れメロス」と「津軽」ぐらいしかないのかもしれません。ローカル鉄道に「斜陽」は洒落にならないし、「人間失格」という列車には乗りたくありません。

走れメロス号_津軽鉄道

坊っちゃん列車_松山

2004年。松山、道後温泉には市電が走っていますが、軽便鉄道だった頃の列車を復活させ、話題になりました。夏目漱石の小説「坊っちゃん」に「マッチ箱のような汽車」として登場するため、坊っちゃん列車と呼ばれています。この写真からはわかりませんが、普通に毎日運行されています。松山は、文学作品に多く登場します。これといって特にないかもしれないが、愛される街という雰囲気があります。

蒸気機関車の復活というと、人里離れたところで一生懸命坂道を上るという、ちょっと肩のこるイメージがあります。しかし、ここにはそれはありません。車で坊っちゃん列車の横の車線を走ったり、右折のときバックミラーに坊っちゃん列車が映ったりします。蒸気機関車の割にせかせかしているところも、松山らしいともいえます。

坊っちゃん列車_松山

栄枯盛衰_旧南大夕張駅

2003年。三菱石炭鉱業、旧大夕張鉄道の駅です。夕張は石炭で一時代を築きましたが、エネルギーの転換とともに人口減が続き、財政破たんがおきてしまったことで有名です。夕張線沿線も、建物の割に人の少なさを感じるのですが、さらに奥に鉄道がしっかり走っていたということ、21世紀になってはじめて夕張を訪れたので、信じられない感覚になりました。

旭川から、新千歳空港に向かったのですが、この沿線はのどかです。何もないです。歴史を記録しようと鉄道を保存していること、ここは特に価値を感じます。

栄枯盛衰_旧南大夕張駅

鉄道員幌舞駅_JR幾寅駅

2003年。鉄道員(ぽっぽや)は話題となった映画ですが、ロケは実際の駅を使用しており、終了後もロケセットのまま、普通に鉄道の駅として利用されています。どこからどう見ても幌舞駅ですが、本当はJR富良野線の幾寅駅です。右に小さくその表示が見えます。駅舎のほか、小さなラーメン屋などもロケ用にありました。

駅舎の前にある、公衆電話と丸ポストが微妙です。ロケ用なのか、普通に駅前にあったものなのか、今となってはよくわからなくなっていますが、たぶん後者と思います。鉄道員から十年経つと、関係ないものもロケセットになってしまうという、時代の速さを感じます。

鉄道員幌舞駅_幾寅駅

幸福な駅_旧幸福駅

2003年。北海道の旧広尾線にあった幸福駅です。広尾線が廃止された後も、駅名が幸せため訪れる人が多く、駅舎と列車が保存されています。この写真だと廃線には見えません。駅舎の壁には、なぜか名刺をピンで留める願掛けがあるらしく、日本各地の会社の名刺で埋もれています。入口前には売店もあり、記念切符も買えます。最近は、幸福インターチェンジもできました。

福井出身者が幸震の地に入植したから、幸福になったとも書かれており、最初からハッピーの意味ではなかったようです。幸福になるよう、誕生日に訪れたのですが、切符販売のおじさんから、「元気に1つ年を取ったことは、幸福なことだ」と云われました。幸福にいると、幸福に気づく人になれるのかもしれません。

幸福な駅_旧幸福駅

めがね橋_碓氷第三橋梁

2003年。旧信越線の横川-軽井沢間にある橋梁です。現在は廃線になっているので、鉄道としては使われていません。信越線のこの部分はずっと前にバイパスができて、さらに長野新幹線ができたため、旧旧区間になりました。撮影した場所も、碓氷バイパス、上信越自動車道の開通により旧旧区間になっています。

めがね橋といえば、長崎のイメージがありますが、この橋も「めがね橋」とよばれているそうです。長崎よりかなり大きなめがねですが、寂しさがあります。

めがね橋_碓氷第三橋梁

在来線高速化_TRY-Z

1996年。日本は新幹線と在来線の速度差がかなりあります。レールの幅や設備が大きく違うため、在来線の高速化は困難です。しかし、全国に新幹線を走らせるのは多額の建設費がかかるので、なんとか在来線を高速化しようとしています。そのための実験車両がこのTRY-Zです。時代が進んだので、現在はもちろん実験には使用されていません。実験車両は時代の目標がよくわかります。

高尾山から相模湖までハイキングをして、相模湖駅で電車を待っていたら偶然止まっていました。当時は今ほど鉄道が話題にならなかったのか、あまり見向きもされず、そっと実験しているといった雰囲気でした。

在来線高速化_TRY-Z

東芝専用_海芝浦駅

1995年。鶴見線の海芝浦駅です。川崎から鶴見にかけての海沿いは、日本の高度成長を支えた京浜工業地帯の工場が立ち並んでいますが、工場の貨物と従業員を運ぶ鉄道も張り巡らされています。しかし、観光地も商業施設も住宅もないので、朝夕の通勤時間以外はほとんど列車が走りません。終点の海芝浦駅は、改札の外がすぐ東芝の敷地になっているので、関係者以外は駅の外に出られません。

この特殊な駅に一度行ってみたのですが、ホームはほとんど海との境にあります。改札に東芝側の警備の方がいる以外、特に変わったところはありません。仕事以外の人はいないようですが、普通の駅でした。

東芝専用_海芝浦駅

九州〇哩_門司港駅

1995年。「哩(マイル)」という漢字は、めったに目にすることがありませんが、鉄道も英国が発祥なのでマイルが基本になります。日本の鉄道〇哩は新橋にありますが、あまり目立つ碑などはないようです。門司港駅は重要文化財になるほどで、戦前は大陸への玄関口であったことから厚遇されています。門司港駅からわずか200mの門司港まで、単独の国道198号線があります。今は、九州は福岡起点ですが、当時は門司港起点だったということです。

門司港は、観光地になっていて、欧風レトロを楽しむことができます。旧門司三井倶楽部のレストランで食べられるバナナ入りハヤシライスは有名です。

九州〇哩_門司港駅

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